曾祖父が戦前に、九州の炭鉱のまちで野鍛治を営んでいました。
もう昔のことになりますが、高校の学習課題で身近なご先祖の生きざまなどを調べてこいとなって、週末汽車に乗って曾祖父の縁者の家に泊まり込みに行き、いろいろ聞き出したりまとめたりしたことがあります。曽祖父は鍛冶屋で大工仕事もこなしました。その長男は大工になり、孫は関西で欄間職人になっています。もう引退したでしょうか、交流も途絶えてしまいました。
私は信州の松本に流れ着き、ここでプーッコなどをつくり始めたときに曾祖父のことを思い出していました。とはいえ会ったことはありません。当時同居していた祖父母たちから普段聞かされていた身近さはあれど、仏壇に飾られた生真面目な顔で語りかけてくる曾祖父は、つまり私の先祖のひとりに過ぎません。
曾祖父、初代作次郎が鍛えた工具や道具は、いま私の手元にはありません。田舎の家にあった玄翁や鎌の記憶は、道具たちと同じように錆び付いてしまっているか、朽ち果てているだろうと思います。
時を経て、いま私が野外道具を工夫して手作りしたり、できない仕事は誰かの世話になったりではじめるようになって、曾祖父から何がしからの物を受け継いでいけるだろうかと自問しています。道具を作ること。誰かの仕事を助けること。二、三年のうちに鍜治場をこしらえて鍛造を行うこと。私に残された時間の中でどこまでやれるかはわかりません。それでも新しいことを含めて、手を動かしていこうと考えています。
写真は、フィンランドのブレードメーカー、Lauri社のカーボンスチールを採用したプーッコ。欅の瘤材とレザーワッシャーでハンドルを形成。一年使用したのち、親友に贈りましたた。2019年8月製作。