春のいち日、沢沿いの道を、少しだけ歩いてきました。
美ヶ原に連なる山塊の片隅に、地元の人でも名前を知らないような小さな沢があります。この沢を詰めて小尾根に乗ると、ある素敵なピークに登れるいわばバリエーションルートなのですが、訳もありまして沢の名前はお許しください。
集落の脇から沢に降り立ちますと、よく踏まれた道型があります。いまは使われていない休耕田や畑の名残があり、そのために永く使われてきた道なのでしょう。こんにちでは、山菜採りや茸採りに、ひっそりと歩かれている道なのです。
何度か渡渉を繰り返すと、やがて道型は細く、微かなものに変わってゆきます。渡渉の折など、どこに足を置いていいかわからなくなるほど、踏み跡は薄れていきます。注意を払えば、赤やピンクのリボンが掛けられて、いまでも山仕事の道として使われていることが伺えます。
ある瞬間、なんとなく視線のような気配のようなものを感じました。ここを歩くのは数回目。でもほとんどが積雪期で、このあたりの急斜面のへつりにアイゼンを要しています(この先のピークというのが1600m台の良い山なんです、雪が降ると出かけるというわけでして)。
気配の源を探ろうと眺めると、なんと石仏のような、神像かもしれませんが、お姿がおわしました。合掌しておられるので観音様ではないかと思うのですが、浅学のわたくしには何とも判りません。帽子を脱ぎ、手を合わせ、ご挨拶申し上げました。何度も通っていながら、気づかぬことでございましたよ。雪の下にそっと佇んでおられたのでしょう。
昨今は、こうしたのぼとけを持ち去るような不心得者もいると聞きます。そのこともありまして、沢の名前を控えさせていただきました。ご理解くださいませ。
昼前から午後にかけて、倒木に腰掛け、鳥の声を聴き、風もない春の日の陽射しを愉しみ、小さな谷の小さな沢の流れを眺めておりました。流れはさらさらと、もう雪解け水もありませんからせせらぎのような様子です。
滑滝のような流れが続きます。最初に訪れたときは、地下足袋に沢登り装備を携えておりました。清らかな流れにひとり身を浸し、最奥の堰堤まで登って行ったものです。
たしか、天然の山葵の群落があったはず、とおもって窪地を覗くと、いくつもの株が葉を広げておりました。根を掘れば太いのもあることでしょう。ですが私はこの地区の住人ではありませんから、採集は遠慮しました。天然の山葵は貴重なもので、もしかしたら集落の方が毎年初夏に花を摘んだりしておられるかも。
春の日の、特に何かの主題を定めて書くようなことでもない、とりとめのない事柄でございました。
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